こんにちは、ココです。
高校留学したい!と思う人が真っ先に考えることに、留学費用があるのではないでしょうか。
確かに、留学はお金がかかります。
留学会社に支払う150万円(アメリカの場合)程の費用にプラス、ビザ取得にかかる費用、荷造りにかかる費用などがかかります。
よって、普通の交換留学なら170万円くらいはして当たり前なんです。
決して安くない費用ですね。経済的な理由により、留学を諦める人は少なくないです。
私も留学をしようか迷っていた時期がありましたが、あることのおかげで決断に踏み切れました。
それは、奨学生になったこと。
今回は私がどうやって、50万円の返済不要の奨学金を手に入れたか
を話します。
私が専願したのは、県の教育委員会の奨学金でした。
高校の担任が、私を含む留学予定者4人を集めて、その奨学金を紹介してくれました。
内容は
- 10名に50万円の返済不要の奨学金
- 中高の成績表を提出
- 面接で10名を選出
とのこと。
これを見た瞬間「は、無理やん。」と思いました。
というのも、中学の私の頭は中の中レベルで、何やっても、どんなに勉強してもど真ん中という頭の出来が悪いタイプ。
唯一出来たのが英語で、常に95点は取っていた。しかし他が全くダメで、数学なんて16点くらいを取ったことがある。
で、進学した高校は偏差値45〜47くらいという、本当におバカ高校。数学の授業は2年からなし。英語ばかりひたすら勉強させられるという学科に入りました。
あ、そんな私じゃダメや。すぐにそう思ったけど、50万はデカい。出来ることなら、欲しい。
「やってみるだけやってみるか、ダメ元で!」と4人で話して、みんなで申請してみることにしました。
面接当日 100人以上の生徒が集まった
当日、市役所に行くと100人は申請者がいました。
しかも、みんなうちらよりかは絶対頭いい高校から来てる。
そのうちの10名に受かる倍率は、10倍。
あかん。
でも、ここまで来るとなんだか安心したというか。もう受からないのは目に見えてる。なら、ゲームだと思って、面接してやろうじゃないか。
そう思って、名前が呼ばれ、部屋に通され、椅子に座ってからはとにかく堂々と話していました。
面接中にまさかの発言、、
面接では、
- 志望動機
- 将来の夢
- なぜ高校で面接したいか
- 留学して何を得たいか
- どんな経験をしたいか
などを、4人くらいの面接官から聞かれました。
この頃の私は、「とにかく日本から出たい!」という気持ちで留学を決断していたのだけれど、その理由だと留学会社からも、奨学制度からも蹴飛ばされるのは明確。
だから私は「将来は国際組織で働く」という夢を半ばでっち上げることにしたんです。
UNHCRっていう難民支援の国連組織で働きたいって言ったりね。
もちろん、そういう組織に対して憧れはあった。でも、そこまで熱く語るほど本気にはしてなかった。なにせ偏差値45。国連なんて夢のまた夢。
でも、とにかく留学したくて、必死で夢を語っていました。
「私は将来、国際的組織で働きたいと思っていて、留学したいと思っています。アメリカ留学が私に取って有効であると考えた理由は、アメリカは多国籍国家であり、そこに住むということは、国際組織、つまり多様な人種の人と協力して何かを目指すという環境に似ていると思ったからです。そして若いうちに日本を出て、そのような社会に身を置くということは、将来の夢に近づく一歩だと思います————」
とかなんとか頭が良さそうなことを、ベラベラ話すんですよ。
半分は本気。でも半分はかなり自分の気持ちを脚色して、大袈裟に話していました。
だって、ただ単に「日本から出たい!」「アメリカ人と恋愛したい!」なんて叫んでたらなーんにも通らないからね。
で、他にも色々聞かれたけど、緊張しまくってたし、勢いに任せて乗り切ったので、ほぼ記憶はなし。
覚えていることは、最後にこう聞かれたんです。
「では、ココさん。最後の質問ですが、留学先でしたいことを具体的に教えてください。」
もうすでに、ボランティアしたいだの、アメリカ人が知らないような日本の特色を広めたいだの、色々語り尽くしていたので、脳内はプチパニック。
え、どうしよう、どうしよう、でも、何か答えなきゃ、私は何がしたい?アメリカで、何がしたいの、、、、
「えっと、私は、アメリカで、、、、う、馬に乗りたいです。」
は。違うやん。それは違うやん。
「馬?!(一同苦笑)」
「はい、馬です。私はずっと前から乗馬をしてみたいと思っていて、アメリカの広い土地で、馬に乗りたいです!」
もう、どうにでもなれ。馬が好きなのも、乗馬したかったのも本当。嘘ではない。もう知らぬ。
「ハハハ、、、ではこれで面接は終わりです。ありがとうございました。」
面接が終わると、なんてこと言ってしまったんだろうと青ざめたけど、まぁやりきった。
これ以上自分にできることはなかったし、これで落ちてもいいと思っていました。
結果発表
それから1週間くらいして、家に合否を知らせる郵便が届きました。
受かるわけないと分かっていても、50万円でしょ、、欲しいなぁと思いながら、最後に祈りながら封を開けると、、、
「○○高等学校 ココさん
あなたは奨学生に選ばれましたので、以下の手順に従って手続きをしてください・・・」
あなたは奨学生に選ばれた?
ワタシ?選ばれた?宛先あってる?
何度も確認しても、私の住所だし、私の名前。
え。受かっちゃった。受かった、、、
受かったぞ!!!!
なぜ私が選ばれたのか
倍率10倍の奨学生に選ばれた、偏差値45、数理は壊滅的な点数を常に取り続けていた私。
なぜそんな私が選ばれたのか?
これはひたすら謎だったのですが、客観的に考えた考察が、これ。
- 堂々と話した
- 理由と目的がはっきりしていた
- 「アメリカ」に留学する意味が明確だった
私は、受からないけどまぁやってみるか、と軽い気持ちで受けたので、どっしりと構えることができたと思います。
だからすごくハキハキと、社交性を押し出して堂々と話せたのが好印象だったのではないか?
そして、明確な留学志望動機。大袈裟に語ったのも事実ですが、「私には留学が必要です」「しかも高校でやることに意味があります」というのが伝わったのではないでしょうか。
あとは、私のアメリカに対する熱が当時すごかった。
もちろんアメリカだけじゃなく、オーストラリアやイギリスだって多国籍な国。でも、アメリカ文化に興味があったし、アメリカが好きで、その気持ちが感じられたのではないかなぁ。
成績はそんなによろしい方ではなかったけど、留学に対する熱で選出してもらったんだと思います。
しかし肝心な留学テストに落ちる
AFSに応募して、アメリカと、滑り止めのフィリピンを選択していました。
Eltisは難しかったけど、面接では「テストの点数さえ取ってたら、採用したいです!」なんて言われて、これはどうなるんだろうと思ったら、あっさり落ちました。
これが意外とショックで。奨学金せっかくもらえるのに、これはないだろうと。悔しかったし、英語しかしてこなかったのに、英語のテストで留学行かないとか、情けなさすぎた。
一通り泣いたあと、次はWYSに応募。そこでやっと拾ってもらいました。
まとめ:奨学金なしでは、留学してなかったかも
結果的に、奨学生になれたおかげで、ヤケになってでも留学してやるぅ!とメラメラしたので、留学に本気になれたと思います。
費用が心配、という人は、ダメ元でも申請してみてください。何があるか分かりませんよ。
地元の教育委員会のサイトを調べたり、国から出ている奨学金制度は、目を通しておいてください。
高校留学の奨学金は、倍率が高く頭のいい子が集まりやすいですが、ほれ、私を見てください。偏差値45。可能性は誰にでもあります。
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