こんにちは、ココです。
今、インスタで私がどれだけインキャで非リアな留学生活を送っていたか、というシリーズを上げていますが、ふと疑問に思われる方がチラホラいらっしゃいます。
「なんであんなにインキャだったのに、気づいたらアメリカンボーイとイチャコラしてんの?」と。※実際はそんなキツイ言い方されてません
それもそのはず、友達ができた過程を省いて話を進めていました。失礼しました。
ということで、スーパーインキャだった私に、友達と呼べる人たちが出来るまでの過程を話していきます。長いです!
私の言う「インキャ」とは
インキャにも色々レベルがあるじゃないですか、ただの恥ずかしがり屋とか、話したいのに話さない系、そもそも話すのが嫌い系とか。
私の場合、最初は「いつも緊張していて、顔がこわばっているのに、やたら人のことを褒めてくる謎の日本人」系のインキャでした。
ホストシブリングがおらず、知り合いが1人もいない状態で留学がスタートしたので、とにかく話し相手がいなかったんです。
でも、なんとかして話したかった。最初はインキャなりに頑張って、隣の席の子に「今日の服可愛いね!」「そのメイクいいね!」とかやたら無理して話しかけてた。
で、褒めるのはいいけどあとの会話ができない。何言えばいいか分からない。
でも、それ、よく考えてみてください。かなり怖くないですか。
やたら褒めてくるくせに、なんかきごちないし、すぐ黙るし、でもなんか超笑顔で無理してる感がひしひしと伝わってきそう。
実際、そう感じてたんじゃないかな、あの子の名前はケイトだっけ、、アートのクラスで毎日隣に座ってた子。
もちろん、そんなめちゃくちゃな「とりあえず褒めまくろう」手法は役に立つわけがなく。きっと困らせたし、彼女とは友達になれなかった。
そしたら、私はめちゃくちゃ落ち込んでしまい、「頑張ってるのに誰も友達になってくれない。私はダメ人間だ」系のネガティブインキャに転身。
それからは、物静かな日本人留学生を通しました。話しかけて傷つくなら、黙っとこうと思ったんでしょうかね。
当時の自分は「話したい。話したい」と必死に思っていたことを覚えていますが、結局怖くて話せなくなってしまいました。
学校に行ってはほとんど誰とも話さず、家に帰る。そんな生活を、4、5ヶ月は送っていたと思います。
周りの留学生が優秀すぎる
ヨーロッパからの留学生って、なんであんなによくできた子たちばかりなんでしょうか?
私はスーパーネガティブインキャになってしまっていたので、彼女たちがほんっとに眩しくて、私と比べ物にならないくらい優秀で、これまた激しく落ち込みました。
彼女たちを見てると、日本で育った自分が本当にダサく思えました。
彼女たちは、意見を聞かれればスラスラ筋の通った答えを発表します。私の場合、意見を言うほどの英語力も、思考力もない。
みなさんもおそらく日本の教育を受けてきたので分かると思いますが、先生にとって生徒の意見なんてどうでもいいんです。試験でいい点数を取らせて、いい点数を取った子にAをつける、それだけ。うちらは完璧に範囲を覚えて、暗記すらしとけば、大体の点数は取れます。
そんな教育を受けてきて、意見を言う力なんてあるわけない。私はそう思って、シンプルに日本を責めました。日本で生まれたから、英語力も積極性も、思考力もない。
実際のところ日本の教育が、考える力を持つ大人を作るには適していないのも事実だけど、私がただ単に引っ込み思案で、出来損ないだっただけ。日本で生まれたことを恥じるべきでは全くなかった。
だけど、とにかく情けなくて、恥ずかしかった。そうして、私は、自分嫌い、英語嫌い、日本嫌いという、「超スーパーメガネガティブインキャ」になったわけです。
オランダ人留学生との出会い
インスタに登場した、オランダ人Mちゃん。
彼女なしでは、私は今もインキャで(こんなブログを大学の図書館でコソコソ書いてるから今もインキャか!)、恋人どころか友達もおらず、「くぅっ、一生アメリカなんて行くもんか!」というくらいの最強インキャであったでしょう。
それくらい、彼女との出会いは私の留学生活を180度変えました。
何があったかというと、ただ単に彼女が私のホストのご近所さんで、私が彼女のマネしてスキークラブに入っただけのこと。
でも、超メガネガティブの私にとって、英語が話せる友達ができた!しかも部活に入った!というのはほぼ大事件レベルの出来事でありました。
彼女は本当に本当によくできた子で、明るい・可愛い・面白い・賢い・高いコミュ力・美人・英語完璧・運動神経良き・・・というスーパー少女でした。
こんな子を周りがほっとくわけがない。女の子も、男の子も、おじさんも、先生も、おばあさんも、私のホストも、みーんな彼女のことが大好きでした。
その溢れ出す陽オーラからして、人をくっつけるような人なんだろうと思います。私といえば陰のオーラを出しまくっていたのでしょうが、ラッキーなことに彼女との仲良くなれたんです。
彼女からの紹介
彼女はとても顔が広く、友達が多い子で、しかも優しいので友達がほぼいない私を色んな子に紹介してくれました。
紹介してくれたというか、私が彼女にくっついていたので、流れで「あ、この子は日本からの留学生のココだよ」と言ってくれるわけです。
私が頼んだわけでもないけど、空気を読んでこの謎めいたアジア人を紹介してくれるわけです。
もちろん彼女にまとわりついている男子たちのほとんどは彼女にぞっこんなので、私に見向きもしないんだけど、女の子たちは結構絡んでくれました。
でも見た目や態度がイケイケ風(上手く説明できないけど、日本でいうパリピに近い感じ)で、派手な格好してボンキュッボン!って感じで、私みたいなインキャは絶対仲良くなれなさそうな感じなのね。
だから、最初は恐る恐るって感じで、図書館にみんなで集まって話してた時もそんなに話せませんでした。
意識が変わった日。自分は自分のままでいいんだ。
でも、ある日、みんなが言ってる英単語の意味が全然分からなくて。それが “swear” だったんですけど、「悪い言葉を言う」という意味の単語です。例えば、フ○ックとか、ビ○チとか。
で、私がポカーンとしてるから、みんなが「ココもswearしてみなよ!」とか行ってくるけど分からないんです。
だから、「え?ほへ?なにそれ?」みたいなことを言ったらなぜか大爆笑で、みんなでココに悪いワードを言わせようみたいなゲームが始まりました。
恥ずかしいなぁ、英語下手なのバレるなぁと思いながら少し嫌でした。でも、私がフ○ックとか恐る恐る言い始めるのでみんな爆笑で、私がまたすっとんきょうな質問して、みんながそれに笑うみたいなのがループ。
それでみんなが楽しんでるのが、分かってきて、私、すっごく嬉しかったんです。
というのも、アメリカにきて誰かにこんなに笑ってもらったのは初めてだった。
日本ではいつもくだらない下ネタばっかり言って周りを笑かしてたけど、アメリカに来てからというもののずーっとインキャ。友達と心から大爆笑することなんて、それこそ5ヶ月くらいありませんでした。
自分のことも、英語も嫌いで、1番嫌だったのが「周りに英語できない奴だと思われること」でした。
だって、日本では常に英語の天才みたいに扱われてたから、アメリカに来てから相当ショックだった。みんな私の言ってることが分からないし、私もみんなの話すことが理解できなかった。だから私は落ち込んで、自分を責めて、インキャになった。
でも、その日、みんなを笑わせていて、初めて気づいたんです。
英語下手でも、こんな私でも好いてくれる人がいるんだ。と。
逆に英語が下手だから、みんな私のこと面白がってくれてるんだ。
英語ができない自分でもいいんだ。
今まで友達が出来なかったのは、英語のせいじゃなかった。私が私自身を見せることを怖がっていたからなんだ。
アメリカで生きるってことは、個性を持つこと、意見を持つことだと思います。反対に、個性のない人、意見がない人は透明人間みたいなもの。
「英語が下手くそ」。それも私の大きな一部であって、それを隠していたら自分のほとんどを隠すことになる。
私は自分が傷つくことを避けようとして、黙ること、チャレンジしないことで自分を守っていたわけだけど、だから誰も見てくれなかったんだ、と悟りました。
もちろん、その日、あの笑っていた瞬間は、こんな風に文字にしてしっかり分かっていたわけじゃないけど、確かにその日、「自分」という存在に「自信」が芽生えました。
自分は自分のままでいい。アメリカ人みたいになろうとしなくていい。英語が下手でいい。バレていい。笑われていい。そう思いました。
とにかく話し始めた
それからはとにかく色んな人と話すようになりました。
英語が下手でいい、下手ということを見せていいと分かっていても、最初はやっぱり怖かった。
日本では、英語でしか褒められたことがなかったから、その唯一の能力さえもないということを受け入れることは、怖かった。本当に自分には何もなくなってしまうから。
でも、回数を重ねていくうちに、段々と話すことが楽になりました。
以前は、完璧な文法で、完璧な発音で話したくて、頭の中で必死にシュミレーションしたのに、いざ話しては「え?なんて?」「今の単語もう一回いって?」と言われて死にたくなっていました。
でも、それから少しずつ「とりあえず話してしまえ」という意識を持つようになりました。
言いたいことが出来たら、完璧ではないけど、部分部分の英文が頭の中に浮かぶのですが、それを完璧繫ぎ合わせようとしない。とにかく思いついたことから言うようにしました。
それをし始めて分かったことは、アメリカっぽく言おう、言おうとすればするほど、ぎこちなくなって伝わりづらいのかも、ということ。
頭の中で準備せずに話すと、発音をちゃんと正しくしないと!という余裕がなくなり、日本人っぽく話さざるを得ないということがありました。
でも、とりあえず言っちゃえば意外とそれが通じる。私が思うに、色々考えていると恐る恐る話して、モゴモゴしてしまうので聞き取りにくい。
反対に「下手でいいわ」と思っていうと堂々と話せるので、かえって聞きやすいのではないかな。
段々とスムーズに会話ができるように
とにかく話しちゃえ、心配するな。そう思いながら色んな人に話しかけるようになり、しばらく経つとかなりスムーズに話せるようになりました。
それは、少しずつ現地人の言い回しを覚えるようになったからだと思います。
回数をこなすと、よく使われる言い回しが分かるようになってきます。それを使っていけば、英語はよりネイティブに近づき、より自然になっていきます。
そうして人との会話が少しずつ滑らかに進むようになると、自分に自信がついてきました。もちろんまだ分からないことの方が多いけど、アメリカ人に混じってあーだこーだ話す自分に「ハッ!」とするんです。
今の自分、いい感じやん!みたいな。自分のレベルをしっかり理解して、それを受け入れ、自分を褒めることをできるようになっていきました。
もちろん、毎日毎時間張り切って人と話せていたわけではありません。話そう話そうと思っても、90分間の授業中ずっと、誰とも話せなかった日もあったし、どうしてもなじめないクラスもありました。
そんな風に、キツかったししんどい気持ちもあったけど、とにかく話すのをやめませんでした。友達が欲しかったし、私のことを知ってほしいという気持ちだけで、突っ走っていた。そんな感じでした。
訛ってるの、うちだけやないんや
会話することがある程度楽になってくると、話すことに対する抵抗がなくなるので、友達がどんどん増えました。
アメリカ人と接する時、とくに私ら日本人留学生から話していかないとみんな気を使うし、黙って「あ、この日本人英語わからんのか」と思われたら、もうほぼノータッチになります。
だけど下手でも頑張って意見などを言うようにすれば、「あ、だいたいの英語はわかるのね」「頑張ってるんだね」と思ってもらえて、話しかけられることも増える。そうやって友達が増えていきました。
そうして友達が増え、話す人数が増えると、ふと気づいたことがありました。
完璧だと思っていた、ヨーロッパからの留学生たちの英語にも不自然なところがあるということです。
以前はとにかく彼女らの積極性や美貌かなんかに圧倒されてたし、耳も肥えてなかったので聞こえなかったけど、「訛り」が分かるようになりました。
それは私をとんでもなく安心させました。
(変な英文和訳みたいなこと言うな)
英語と同じアルファベットを使い、似ている単語や発音のある、ヨーロッパの国々からやってきた彼女たち。それと比べると私たちアジア人には、相当な英語習得のハンデがあると思っています。
そんな英語に近い言語を話す彼らにも、訛りがある。小さい頃から英語教育を受けてきた彼らにも、訛りがある。完璧に見える彼らも、言い回しを間違うことがある。
それなら、日本人の私は?14歳で英会話を始めた私は?訛りがあって、当然なんじゃ。英語が下手くそで、当然じゃ。
なんなら私の境遇で、これだけの英語を話して、アメリカの高校で課題やって必死だけど授業についてきて、私も結構すごいんじゃないの?そんな風に思うようになりました。
それまでは、アメリカ人の英語に近づきたい、完璧な英語を話せるようになりたいと、ずっとずっと思っていました。
でも、ヨーロッパ人の彼女たちを見て、訛りを完全になくすことはほぼ不可能だと気付きました。彼女たちでも訛ってるんだから、私の英語が完璧アメリカ人英語になることはないんです。
でも、彼女たちのすごいところは、訛っていても堂々としていて、「自分」があること。意見があること。積極性があることでした。
その時になって初めて完全に、「あぁ、自分の英語が訛ってるのは当たり前だし、それでいいんや」と思えました。
そうやって、自分もすごいじゃん、という自信と、訛ってていいんだ、という安心を得ることができました。
そうして友達と呼べる友達ができるようになった
この時、すでに留学開始6ヶ月を過ぎていたと思います。それくらい時間がかかってしまったけど、それからは簡単でした。
自信と、自分の英語を見せることを恐れない気持ちが生まれたので、隠したりせず自分らしく振る舞えるようになりました。
日本では行儀も口が悪く、下ネタ言ったり、人のおしりばっか触ってふざけてばかりの私でしたが、それが出てくるようになってしまったんですね。
まさか誰にでもそういうことをしていたわけではなく、仲良い子とは今までのインキャの私ではなく、本当の自分を出せるようになったんだす。で、みんなそんな私を好きになってくれました。
友達が一気に増えたと言っても、プライベートで遊びに行く程の仲は6〜7人でした。でも、自分らしくいられる友達がそれくらいできて、私はとっても満足でした。幸せでした。
「自信」が全ての鍵だった
私の長い話はこれで終わりですが、何を言いたいのかというと、私にとっては「自信」が全てを変えてくれたということです。
ドギマギして、自信なさげで、笑顔が引きつっているけど、謎に明るく振る舞う日本人。
英語は間違いだらけだし口も悪いけど、堂々としてケラケラ笑っている日本人。
どっちに友達ができやすいでしょうか。
私を変えて、私の留学を変えたのは、「自分のままでいい」と思えるくらいの、自分の英語や自分自身に対する自信でした。
自信とは自分を信じると書きますが、自分をいかに受け入れて、堂々と行動できる力、という意味だと私は思います。
その自信をどうやって得ることができるのか・・・それは箇条書きにして説明することはなかなかできませんが、私の話を聞いて、何かヒントを得ていただければと思います。