こんにちは、ココです。
私が高校留学したのはもう3年前のことになりますが、日本に帰国後の当時は結構辛かったです。
なぜ辛かったかというと、アメリカと日本のギャップに板挟みされているような感覚がしたからです。
留学中は憧れだった自由な校風の中で、挫折や悩みで負けそうになりながらも、自分の成長を感じながら毎日を送っていました。
留学前は気がつかなかったアメリカの良いところ、または暗い過去と多くの社会問題に触れながら、日本の良いところに気づいたりもして、とにかく刺激的な11ヶ月だったのです。
11ヶ月後の私は、留学前の私とは確実に変わっていました。
もっと自由な考え方をするようになり、生まれて初めて自信というものを感じていました。
しかしアメリカで卒業式を終え、日本での3年生を終わらせるために再び高校に戻ってきてから、日本という国の嫌なところばかり目につくようになりました。
理不尽な校則やつまらない授業、バイト先でのルールや日本人の国民性、、、全てが窮屈で、自由がなくて、アメリカで開拓した「自分らしさ」を表現できない状況が続きました。
そして完全に日本に慣れるまで、2年程かかりました。
留学後は精神的に敏感になることはよくあることです。それによって、私と同じような気持ちになる人もいると思います。
今回の記事では、私が経験した留学後のギャップを話していきます。
ギャップ①校則
私は日本の校則が大嫌いでした。地域や学校にもよるのでしょうが、私の中学、高校の校則はとても厳しかったのです。
*校則や日米の高校の違いについて詳しくは
【元留学生が語る】日本とアメリカの教育の違い。どうしてこんなにも違うの?! - ココのアメリカ高校留学体験
に書いてます。
とにかく1から10まで先生に言われるのが嫌で仕方ない。
私が眉毛を少し整えただけで、前髪が少しおでこにかかっているだけで、何でさぞかし重大な罪を犯したように接されないといけないのか。誰に迷惑をかけているというのか。そんなことばかり考えていました。
でも私が反抗したところで何も変わらないとわかっていたので、中1の時に初めて風紀点検で引っかかった時から、コンプレックスだった太い眉毛もそのままにしてました。
それ以降先生に呼び出されることもなく、みんなと同じように試験の点数に一喜一憂しながら真面目な学生生活を送っていました。
そして高校で留学し、制服も校則もないアメリカで、私はとにかく英語をうまく話せるようになりたい、友達が欲しい、イケメンとプロムにいきたい、というような超個人的なことだけに集中して生きていました。
私が授業中にお菓子をつまもうと、ジュースを飲もうと、マスカラをガッツリ塗って登校しようと、口出す人は誰もいません。
お陰で自分の成長だけにフォーカスして、最後には「やったやん、自分!」と思える留学生活でした。
そんな私が日本の高校に戻ると、もう歯止めが効かないくらい反抗するようになりました。
アメリカで散々陰口叩かれながらも、彼氏を作って、外国人の親友を作って、いい成績を持って帰ってきたもんだから、妙な自信がついていました。
もう誰にも私に指図なんてさせない。大人の言うことなんて聞かない。
その気持ちは真っ直ぐ担任に向かい、授業中には脚を机の上に乗せるわ、水をがぶ飲みするわ、お菓子を食べるわ、ろくに授業を聞かずに本を読み漁るわ、ケータイを見るわで好き放題。
中学の時から我慢して溜まっていたものが、どんどん爆発していくのを感じていました。
今振り返ると子供っぽくてダサいと思いますが、当時の自分はどうしても学校のルールが理解できませんでした。
どうしてこんなにまで学生を抑制するのか。校則に従うことで、どんなメリットがあるのか。
どう考えても馬鹿げた規則ばかりで、意味のないことに思えたし、日本の教育に対して怒っていました。
当然担任や副任には怒られていました。
「あんたはもうアメリカにはいないんだ。日本に帰ってきたからにはルールには従いなさい」
そんなもっともなことを言われても反論しました。
「じゃあ何で授業中に水飲むのがダメなのか、私がちゃんと理解できるように説明してよ。話聞いて欲しいなら、もっと面白い授業にしてよ。ほら、何も言えんやん。」
ただの反抗期が遅れてやってきている18歳のクソガキでしたが、黙って従う優等生にはもうなれませんでした。
ギャップ②授業
アメリカの高校で受けた授業は全て楽しく、刺激的でした。
90分間の授業はあっという間。課題は作文レポートやプレゼンばかりで、テストの点数<努力の世界。
日本で考査の合計点ばかり気にしていた私にとって、初めて誰かに努力を見てもらえた、本当の意味の勉強ができたと思えた、素晴らしい経験でした。
だからこそどの科目にも全力で取り組めたし、慣れない形式の課題でキツい思いをした分達成感は大きかったです。
そして日本に帰ると、本当に地獄のようでした。
留学中にアメリカ人から「日本の学校ってどんな感じ?」と聞かれると真面目に「地獄」と即答していましたが、帰国後の日本の高校は想像していたよりしんどかった。
まず、授業がクソほどつまらない。
生徒の意見なんてどうでもいいのか、教えることが多すぎてそんなこと聞いている暇もないのか分かりませんが、先生が一方的に話して、私たちはノートをとるだけの時間。
英語科でしたが、アメリカ帰りで鼻が高くなっているので、分かりきった文法の授業を聞かずに1人で英語の小説なんか読んでました。
英語はまだしも、古典の授業なんて最悪で、長く感じる50分の授業が終わるのをひたすら待っているような時間でした。
アメリカでは自分の意見をレポートに、疑問に対する答えをプレゼンにして、1つ1つの問題に真面目に取り組むことができました。
それに反して、日本では暗記ばかりで何の勉強をしているかも、何のためになるのかも分からない。
校則や授業の体制に対する嫌悪感は日に日に大きくなっていき、日本の教育のあり方が本当に嫌いだと思いました。
しばらくは本を持ち込んだり、居眠りしてやり過ごしていましたが、そのうちその空間にいることすら無駄に思えてきた私は、進路が決まると毎日遅刻気味になりました。
しかしうちの高校には、「週3以上の遅刻で反省文」という鬼みたいな校則があったので、アホみたいな反省文を一回書いた後は、「遅刻して反省文を書くくらいなら、もう学校に来なきゃいいんだ」と冷静に捉え、今度は留年しない程度にサボるようになりました。
ギャップ③バイト
学校をサボって何をしていたかというと、ママとショッピングに行ったり、家で映画を観まくったりがほとんどでしたが、バイトに行くこともありました。
留学から帰ってきたのが7月で、11月には大学受験を済ませ、進路が決まりました。それからはほぼ毎日バイトをしていました。
アメリカにいる彼氏に会いに行くために、15万円の航空券を借金して買ったので、それを母に1日でも早く返すために必死だったからです。
最初に始めたのはファッション系の販売員のバイトでした。
人生初バイト(私の高校はバイトすら禁止だった)でドキドキしていましたが、ここでもルールの多さにうろたえました。
髪は絶対に結ぶ。長ズボン着用。立ち方まで指定。
販売員なのにこんなことまで言われないといけないのかとびっくりしました。
そしてアメリカで見た、鮮やかな紫色の髪をしたマクドナルド店員や、ドレッドヘアーが綺麗だったスーパーの店員を思い浮かべました。女の子たちはどこでもピチピチのヨガパンツを履いていて、飲食店だろうとネイルをしている人も見かけました。
アメリカの様に、自由であれたら良いのに。
学校と言い、仕事と言い、なぜ多くのことを他人と同じようにしないといけないんだろう?
こんな国、個性を消してクローンを生産するような国じゃないか。
その後は飲食店でのバイトも掛け持ちし、そんな小言をいう暇もないくらい働きまくり、1ヶ月で15万をママに返しました。
卒業してバイトを辞める頃には30万円くらいの貯金ができました。
働いている間はとにかくお金を稼ぐために必死でしたが、自分は本当に自由のない国に帰ってきたんだと思わされました。
と同時に、日本で生きていくのは大変そうだとしみじみ思いました。
ギャップ④人間関係
先生に頑張って反抗したり、学校に来ないことでバイトができるので、無駄なことに時間を使わずに済んだと気分を良くしていましたが、留学後の私の変わり様を見た友達からは白い目で見られていることに気付いていました。
留学前の私は、朝一番に学校に来て、自習室で英語の勉強をカリカリしているような奴でした。
そのためクラスや先生の間では「真面目な優等生」というイメージを持たれていました。
そんな私が11ヶ月経つと、授業態度が悪くなったかと思えば、休み時間になる度に彼氏とメッセージでやりとりをし、そのうち遅刻から軽い不登校気味になっていったので、かなり浮いていたんだと思います。
周りより早く進路が決まったので、あとは卒業するのを待って好き放題している私を見たあるクラスメートは、「進路早く決まったからって調子乗りすぎじゃん」と言ってきました。
本当にその通りでした。しかし反論することも、行動を変えようということもなく、ヘラヘラしていました。
もはや日本の高校という場所に対して、思い入れのこれっぽっちもありませんでした。
しかし大抵の子たちは私がおかしくなっても友達でいてくれたし、何なら私の英語力やアメリカ人の彼氏がいることに対して憧れの目のようなものを向ける子も沢山いました。
それに違和感をとても感じました。私は英語以外に取り柄はないし、みんなの方が運動神経もコミュ力も社交性もあるのに、何でこんなに褒められるんだろう?
確かに留学して英語は前より上手くなった。でもハイレベルの大学に進学するわけでもない。高校最後の理科のテストでは13点だった。全然スゴイ人間じゃないのに、どこに行ってもスゴイ人という目を向けられてしまう。
英語科にいるからなのかと思ったら、バイト先でも英語が話せるだけでスゴイヤツだと思われてしまう。
アメリカでは私のあらゆる能力は底辺のようなもので、周りについていくのに必死だったのが、日本の高校、バイト先、親戚での集まりなどでは偉人のように扱われる。将来を期待される。
留学してたから、英語が話せるからと必要以上に褒められる状況に対して、次第に虚しさを覚えるようになりました。
そのような日本人の英語や外国人に対する憧れを目の当たりにして、日本の英語の教育がいかに遅れているかも実感しました。
「これだから、アメリカで馬鹿にされたり、友達がいないインキャになったりして苦しんだんだ!」と日本の英語教育のレベルの低さに八つ当たりまでしました。
ギャップ⑤自分らしさ
大学生になってからは人との付き合い方や、自分らしさがもっと分からなくなりました。
大学で新しい友達ができても、「元留学生」「英語がペラペラ」「エリート」「留学帰りのお金持ち」「外人の彼女」という目でしか見られていない気分でした。
私の英語力は海外では話せて当たり前のレベルだし、英語で新聞やニュースはいまだに難しいし、英語以外何もないし、お金がないから必死にバイトしてたし、遠距離恋愛だっていつも上手く行ってる訳じゃなくて、陰で泣くことだってある。
そういうことを説明しても分かってくれないし、英語が話せりゃ将来安泰とさえ言われる。
自分のことを「ココ」としてではなく、「留学してた英語が上手い子」として見られているような気持ちでした。
留学中でも、言葉が十分じゃない分引っ込み思案になりがちだったので、「英語を話しながらも自分らしさを出すには」ということはずっと考えていたことでした。
だから日本でやっていたみたいに、友達と下ネタや冗談を言い合ったり、大好きな韓流アイドルの話が通じる友達を見つけたりする中で、やっと「アメリカで英語を話しつつ、ココらしくある」方法を見つけたばかりだった。
それが、また一からやり直し。今度は「英語を話し、アメリカ人の彼氏や友達が居つつ、日本でココらしくある」方法を探さないといけない。
また、大学では趣味や興味が合う人が周りにいなかったのも、自分らしく居られなくなった理由の1つです。
英語科にいた時は、洋楽や洋画、海外への興味があって話の合う友達が何人もいたけど、大学ではなかなかそういう人に出会わず、長い間自分の好きなことを話せる友達がいませんでした。
日本に帰り大学に進学すると、自分らしくいられる居場所はここにはないと思うようになりました。
こうして日本が嫌になった
留学をしたことで日本食の美味しさや自然や季節の美しさに気づいたり、アメリカでの日本の人気の高さに嬉しくなったり、日本を前より好きになれた部分ももちろんありました。
留学中は「日本人じゃなかったらよかったのに」とすら思っていた時期もありましたが、最後には「日本人でよかった」と思えたくらいでした。
しかし帰国後、高校では校則や授業に対する嫌悪感を持ち、日本の教育が嫌いだと強く思いました。
人生で始めてバイトをするようになってからは、日本社会の自由の無さ、個性のなさが嫌いになり、英語が話せるだけでエリート的な立場に立たされることで日本の英語教育が嫌いになりました。
そうやって嫌悪感にまみれた私は、日本で暮らすことに対して全く心地よく思えなくなりました。
そんな期間がかなり長いこと続きました。
しかし、あるネット記事で見つけた言葉のおかげで、色んなことが府に落ちました。
日本の校則や国民性に納得し、アメリカとの違いを受け入れることが徐々にできるようになったのです。
次の記事では、ギャップを乗り越えた方法や、乗り越えるきっかけとなった出来事について話していきます。
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